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城跡

松代城跡
甲斐の武田信玄が越後の上杉謙信との川中島の合戦の際、武田方の前進基地として築かれた海津城が、その始まり、関ヶ原の戦いの後、二の丸・三の丸を整備し、土塁を石垣に築きなおしたものと考えられる、1622年、真田(信)が上田より移封されて以降、明治の廃城までの約250年間、松代藩真田家10万石の居城、

13-5-5-1松代城跡
太鼓門・前橋
本丸内では一番大きな門、本丸大手の出入り口は、桝形に石垣をまわし、二層の太鼓門と橋詰門の2つの門で構成、
前橋は太鼓門表門の前には橋のこと、
13-5-5-2太鼓門、前橋
正面から見て右側にある橋
13-5-5-3.jpg
正面門から右側から
13-5-5-4.jpg
北不明門
本丸の裏口に位置する門、18世紀中期は門が河川敷に接していたことから水の手御門と呼ばれていた、
13-5-5-5.jpg
石垣
本丸の周囲や出入り口などの重要な部分に石垣を用いていた、大小さまざまな自然石を巧みに積み上げた、高さと勾配の美しさは、当時の石工の技術の高さを物語っています、
13-5-5-6.jpg
二の丸御殿跡
13-5-5-7二の丸御殿跡
右側は土塁と土門
13-5-5-8土塁
ご訪問有難うございます
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No title

こんばんは。

遅くなりました。

歴史ある 松代藩真田家10万石の居城ですね
上田城址には 何度か出向きますが
やはり 印象深く見入ってしまう箇所は 石垣です
どのくらいの月日を 年数を 掛け造り上げたのでしょう
また、見事な 芸術とも感じます。

No title

トマトの夢3さん こんばんは!
コメント有難うございます
長野ICから近いので分かりやすかったです、町並みも散策してきましたが門構えの家は門のみ
石畳通りが一か所ありここに立ち周りを見ているとこの時代の人々がここを往来していたかと思うと
何かジーンとくるものが・・・
所々には空き家があり観光だけの町では成立しないようです、

こんにちは

戦国武将の中で真田親子、兄弟ほど私の心を打つ武将は知りません

関ヶ原の合戦以後故合って敵味方に分かれてしまいましたが、幸村、信之兄弟の心は固く結ばれていたように思います。

大阪冬の陣、夏の陣ともに、真田幸村が徳川家康を相手に戦った戦と云っても過言ではないほどの働きでしたからねえ

No title

dさん おはようございます。
コメント有難うございます
歴史上の人物が活躍した処を見るとその時代の人々がどのような生活、どのように戦い等を見ていたのだろうかと思いが(空想)します。

No title

おはようございます♪

歴史小説には少し興味があるので、こういう写真はつい興味津々でみてしまいます。
真田一族‥実は私の住む地域にも移住しているようで、近くのお寺の入口に記載されています。
石垣をみていると重機などなかった当時、どのようにして積まれていったのか興味ありますね。

No title

なべ さん おはようございます。
コメント有難うございます
歴史には少しだけ興味がありこのような場所を見て廻ることが気分転換にもなるから
また、この時代の人はどのように石垣を積み重ねたのだろうかと考えさせられます、
プロフィール

尾張小牧

Author:尾張小牧
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ブログをやり始めたばかりです、フィルムからデジタルに変更が2011・4月頃、
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追伸・見たもの、感じたものを撮っています、また、感じたこと、思いついたこと等を書いています。
パソコンのアドレス変更(busi49@zm.commufa.jp

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